生活が、どんどん機能しなくなる

今までできていたことができなくなってゆく不安。

誰かと接する不安。

明日への不安。

将来への不安。

漠然とした不安。

凄い量の不安にいつも苛まれている。

この世の何もかもは、"心"身共に健康な人間のためにあるのだと、感じ始めた。

今までできていたことができなくなってゆく。

部屋の掃除、授業をまともに受けること、ちょっとした何かに対する用意や準備、絵を、描くこと。

人と接する時。

いつもいつも違う自分になる。

どれが、何が自分なのかわからない。

バラバラになって自分がどこにいるのかわからない。

不安。

本当に自分が思っていることがわからない。

自分が何なのかわからない。

自分で自分がわからないということは、すごく不安。

明日。

私は明日もちゃんと生きていられるのか不安。

死にたいと感じることはないけど、生きているのをやめてしまいたいなとか、生きていても仕方がないな、生きているのは辛いな、というのは強く感じるようになった。

さっそく、上のと矛盾するけど、朝、どうしても自分が駅のホームに飛び込んでしまうような気がして不安で、学校サボったことがある。

死にたくないのに死んでしまうような気がして怖くて仕方がない、これは、中学の不登校の頃と同じだ。

将来。

私漫画家になりたかった。

エステ関連の仕事に就いて、傍ら漫画でも書こうと思っていた。

どんな状況であれ私から絵が奪われることはない、と、思っていた。

専門学校に行かないことになった。

私は何をすればいいのかわからなかった。

私は多分今の状態で働いたら本当に死んでしまうような気がしている。

私は誰かに失敗か何かを指摘されると、もう、ダメになる。

あ、死にたいもうダメ、精神がボロッボロのズタズタになる。

自分の間違い、些細な言い間違いや、私の中だけで始まり完結したようなこと、ずっとずっと忘れない。

時折一気に思い出しては恥ずかしくて苦しくて苦しくてたまらなくなる。

それは私はできないことが多過ぎる完璧主義者だからだ。

いかなる批判も注意も私には死んでしまいそうなくらい影響力があり辛い。

私が私を保てなくなるには、"何かができない"それだけで十分だった。

私が私を見失ってしまうと、他の人に攻撃的になる。

嫌なことしか考えられないからだ。

何もかもが、疎ましく、気持ち悪く感じられ、全員殺したらスッキリするのかなあとか思ってしまう。

自分の残酷な部分にも振り回されがちである。

ちなみに最近の体育の授業のマラソンがそうだった。

身体がしんどいと嫌なことしか考えられなくなる。

後ろに人はいなくて、もう頭の中はクラスメイトの死体がそこら中に転がっていた。

嫌なこと、何でもいい、嫌なことは嫌なことである。

それもとてつもないほど大きな不安を憂鬱を、私の中から引きずり出すのだった。


漠然と、なんてのはないことに気づいた。

ちゃんと原因がある。

生きてることが不安なんだな。


他人に感じることについて。

誰も私を見ない。

誰も、私に興味がない。

私は他人について気にし過ぎるぐらい気にしている。

それは私を優しい人間たらしめている。

誰かと関わる時は、頭の中の殆どは相手のことが占めている。

おそらく元々、何に対しても興味を抱ける性質があり、また、よくものを考え過ぎるほどに考えてしまう性質があるからだ。

私は自分と同じものを相手に求めてしまう。

それは、誰も私のことなんか考えちゃいない、と、なるだろう、という話なんだが。

人はそこまで他人に興味を普通抱かない。普通、自分のことしか考えないのに。

でも、私は、誰かのことを考えなくてはいられない。

私は、誰かその相手によって形作られるからである。

私はバラバラで、私自身は、私ではないので。

Aさんを相手にすれば私A、Bさんを相手にすれば私Bみたいな。

私が試験管で相手が溶液なわけである。

それはおそらく相手にとって好ましい私。

テンションも話し方も話す内容も、価値観さえも、全部全部相手のためのもの。

聞こえはいいがつまり自分が相手の機嫌を損ねたり嫌な思いにさせるのが怖いのだった。

誰かといる時は常に、私は私を見失っている。


それで、私が誰にも興味を抱かれていない、について。

もっと言えば誰からも愛されていると感じない。

本当に、誰からも。

それは孤独だった。本当に孤独だった。

おまけに私は自分さえ失っているのだから。

孤独、不安。

誰といたって私は独りなのだと、それはずっと頭にある。

何故なら相手が私を見ていたとして、その私は私ではないからだった。


家族は私を理解しようという努力をしなかった。

ただ自分の価値観での"普通"を私に押し付けた。

私は今、普通に健全に生きられないのに。

それだけでなく、私がどう思うかより私が苦しんでいるのを見た自分がどう思うかを、優先させている。

これは本当にどうしようもないのだと"諦め"の言葉が頭に浮かんだ。

理解しようとする努力があれば、私のことを本当に考えてくれれば、私のことを本当に愛してくれていたら、今まであんな言葉やそんな言葉が私に投げつけられることはなかっただろうに。

家族なんてものは血というつながりでしかない。

解けばただの個人と個人。

それでもそう割り切れず、家族だから、自分より私を優先して愛して欲しいとか、そういう気持ちを捨てきれないのは、悪いことなのだろうか?


私は生まれてきちゃいけなかったみたいだけど。

でも私は生きていたい。

どんなに普通にあてはまらなくても、不恰好でも私は生きていたい、幸せになりたい。

幸せになりたい。

幸せになりたい。

幸せになりたい。

私みたいな人間でも、幸せになれるのかな?


高校中退という言葉が最近頭を占めている。

もう学校いけないなと思っている。

自分のゆがみを隠し続けるのはちょっと難しかったみたいだ。

そろそろ限界みたいだ。


今日、英語の時間、辞書を用意しなかった。今日は要らないだろうと思っていた。

私は英語以外の普通の授業はまともに受けていないので、何か忘れたりしても別に先生も気にしないだろうと思っていた。

結局辞書が必要になって、みんなが単語を調べている間ボーッとしていた。(他にも辞書を持ってきていない子がいて、その子が先に先生から辞書を借りてしまった)

そしたら先生から注意を受けた。お咎めを受けた。

忘れたのならもじもじしていないでちゃんと言え、もう言える歳だろう、と。

私の中で、あ、だめだこれ、と思った。

みんなの前で、そんなことを言われた。

恥ずかしい、恥ずかしい、違う、違うの、いつも授業まともに受けてないからそのせいで!

私は、言えなかったんじゃなくて、言わなかったのに!

その教師は女の先生でどうも母親の印象が強かった。

母親に、本当とは違うように認識される。

私がいつも苦しんでいること!

耐えられなかった。

本当に、耐えがたい気持ちだった。

一気に精神が脆くなってしまった。

次は美術の時間だった。

その美術教師は画家としての実績もありキャリアも長い。

そのせいか、よく自分の価値観を生徒に押し付け、生徒の世界をペシャンコに潰してしまうところがあった。

最初はこうだった。

「前の静物画から進みが遅くなったよな?」

私は模索していた。古典的な表現に近い理想の油画を描くために、色々。

そのせいで筆が遅くなっていた。前回の課題はそうだった。

でも今は…精神的に不安定なことが多く、なかなか筆を持つことができなかった。

その指摘を受け、心がグラグラと揺れ動き始めた。

これは、まずいのでは?

写実的な表現に拘って私はグリザイユという技法を選んでいた。

モノクロで明暗を意識して描いてから、その上から彩色するつもりだった。

その教師も写実的な絵画を描く画家だったので、余計気になったのだろう、私のキャンバスに、筆を乗せてしまった。

私が、我慢できないこと、自分の絵に上から何かを描かれること。

それは私を、失いながらもずっとずっと、私の中で変わらずある世界を、陵辱されることなのだった。

それでも私は「描いていいか」と聞かれ「お好きなところにどうぞ」と答えるしかなかった。

頭ではわかっている。

教師は何も悪くない。

気を遣ってか人物の耳の部分に筆を乗せ、全体的にトーンを下げるように指示してくる。

この方がいいだろう?と、よくその教師は聞く。

良いわけないだろ私の絵だこれは!


とにかく教師は進捗状況の思わしくない生徒に対し妥当な指導をしたまでで、何も悪いことはしていない。

ただ、私にとっては、物凄い苦痛だった。耐えられなかった。


素描の時間、その担当の先生に、木炭デッサンでせっかく描いたものを全部消されて上書きされた時もここまで辛くはなかった。


涙が止まらなかった。

いよいよヤバイなと思った。

マスクの下で唇が震えた。

涙が止まらなかった。

人前で泣くなんてあってはならないことなので、必死になって隠そうとしたけど、涙と鼻水でもう顔はグシャグシャだった。

筆を取った。

もう、目の前にあるのは私の作品ではなかった。

描けなかった。

また指摘を受けた。

消えてしまいたくなった。

ああこれはもう、一生、この絵とは向き合えないと、直感的に思った。

そしてもう、私は学校に来たくないと思った。

学校やめたクラスメイトのことが思い起こされた。


最近、強いストレスを感じると、呼吸が浅くなってそのかわり回数が増えて、物凄く苦しくなる。手足が震える。

息が上手くできなくなることがあった。

初めてのことだった。


ダバダバ泣きながら、頭をよぎったのはそのことだった。

また息ができなくなる?

みんながいる前でそんなことになったら私は…

いっそそうなってしまえばいいと思うこともよくあった。

けど、実際、そうなりそうになって、結局不安になって逃げた。


先生ごめんなさい。

先生は何も悪くないんです。


と、今日学校から逃げて来た全容がこれ。

私が泣くほど苦しいことがあった時、きっかけ自体は他人からしたら大したことないことの場合が多い。

本当にちょっとしたことで一気にダメになる。ように、見えるかも。

でも、ダメになるまでの過程が私の中ではちゃんとある。

ちょっとのこと、それをきっかけにいろんな嫌な感情、嫌な記憶と関連づけて心が折れてしまうのだ。

芋づる式に憂鬱が引きずり出されるのだ。

それを説明する口を、私は持たない。

誰も説明させてくれないから。




ラソンで走りながら、どうすれば私は私になれるんだろう、と思った。

答えは、私を知っている人間が全員消えること。

みんないなくなってはじめて、私は私のもとに帰れるのだろうと思う。

でもそれは、とても難しいから、私が消えるしかないのよね。


できるものなら、そうしたいけど、私は、好きなものがあまりに多すぎて。

できない。

マジでオタクでよかった。

良かったのかな。

わからん。



泣きすぎて頭痛いのでここまで。

サラダバー。